我孫子 パチンコ 等価

我孫子 パチンコ 等価

◆ 師団砲兵(ドゥ・マガロン戦隊長/少佐格)*砲兵第10連隊・第21中隊(4ポンド砲6門)[バルベ大尉]*同第14連隊・第24中隊(4ポンド砲6門)[マルケ大尉]*同第12連隊・第21中隊(4ポンド砲6門/71年1月5日からミトライユーズ砲が数門加入)[ファリュ=デュリフ大尉→モレ大尉]*護国軍メーヌ=エ=ロアール県(県都アンジェ)砲兵の1個小隊(12ポンド砲2門)☆ 第4師団「ブルターニュ兵団」 オーギュスト・グジェアール少将(戦時昇進・本来は海軍中佐)○ 第1旅団 ベル大佐*臨時護国軍ロアール=アンフェリウール県第3大隊*臨時護国軍イル=エ=ヴィレーヌ県の1個大隊*戦列歩兵第62連隊の補充大隊*戦列歩兵第97連隊の補充大隊*戦列歩兵第25連隊の補充大隊一部*戦列歩兵第86連隊の補充大隊一部○ 第2旅団 ドゥ・ピノー大佐*護国軍ロアール=アンフェリウール県の1個大隊*護国軍マイエンヌ県(ブルターニュの東方・県都ラヴァル)の2個大隊*臨時護国軍モルビアン県の1個大隊*戦列歩兵第19連隊の補充大隊*外人部隊1個中隊◇ 師団付属○ 砲兵隊(11/28日付) コク海軍少佐*砲兵第10連隊・第22中隊(12ポンド砲6門)[カントン大尉]*海軍の山砲1個中隊(4ポンド山砲8門)[ドゥシャ大尉]*海軍の山砲半個中隊(4ポンド山砲4門)[ノルマン海軍大尉]*海軍のミトライユーズ砲半個中隊(5門)[フォルテ海軍技術大尉]※後日追加*砲兵第18連隊・第18中隊(4ポンド騎砲・騎兵師団から転属)*海軍砲兵中隊(8ポンド砲)*工兵1個中隊*フォンテーヌブローの義勇兵中隊*トゥールの義勇兵中隊○ 騎兵隊(初期のみ存在か)・仏正規軍槍騎兵第2連隊の1個中隊(補充隊?)[デュピュイ中尉]・ブルトン・エクレルール隊2個小隊[キャリー=クリズエ大尉]☆ 軍団騎兵師団 ギヨン少将(前・驃騎兵第6連隊長/セダンより脱出)○ 第1旅団 チュセ准将*マルシェ驃騎兵第1連隊 [ボネ中佐]§*混成軽騎兵第3連隊 [ボニ中佐]§○ 第2旅団*マルシェ竜騎兵第6連隊*マルシェ胸甲騎兵第8連隊 [ユンブロ中佐]*混成軽騎兵第8連隊 [パランク中佐]○ 砲兵隊(ボージョンシー戦後解隊)*砲兵第18連隊第17中隊(4ポンド騎砲6門) [アルゲ大尉]*砲兵第18連隊第18中隊(4ポンド騎砲6門) [アイム大尉]※「§」の部隊は他のソースでは別軍団や師団所属となっています

☆ 軍団予備団 ゼデ海軍中佐○ 予備旅団 コレ少佐*護国軍ドゥー=セーブル県の1個大隊*護国軍ガール県の1個大隊*海軍歩兵第9大隊*海軍フュージリア1個隊○ 軍団予備隊 エフォンタン少佐(竜騎兵第6連隊)◇歩兵*海軍フュージリア第5大隊 [サルラ少佐]*仏東部義勇兵集団 [カセン少佐]*工兵第1連隊第8中隊 [ベルナール少佐]◇騎兵*マルシェ騎馬憲兵の2個中隊[セーグル戦隊長]*竜騎兵第6連隊の2個中隊(第15軍団より転属) [ジェス戦隊長]*驃騎兵第5連隊の1個中隊 [モントロン少佐]*驃騎兵2個中隊 [ドゥ・コニャック少佐→シャティオン少佐]※1871年1月10日からの第4師団「ブルターニュ兵団」◇ 第1旅団 ジェンヌ大佐(1/15~)○ 第1半旅団 ヴィエル中佐*臨時護国軍ロアール=アンフェリウール県・第1、2、3大隊(ナント、シャントネ、サン=ナゼールの各地域郷土大隊)*戦列歩兵「第25、第86連隊」混成大隊(サル大尉)○ 第2半旅団 ダゲ中佐*戦列歩兵第62連隊の1個大隊(ジェルマン大尉)*戦列歩兵第97連隊の1個大隊(ラルモア大尉)◇ 第2旅団 ドゥ・ピノー大佐○ 第3半旅団 リフォー中佐*戦列歩兵第19連隊の1個大隊*護国軍マイエンヌ県第5、6大隊*臨時護国軍カンペール(フィニステール県の街)1個大隊(所属せずとの説あり)○ 第4半旅団 ペリン中佐*外人部隊1個中隊*臨時護国軍モルビアン県の1個大隊*護国軍ロアール=アンフェリウール県の1個大隊◎トゥール地区機動兵団「カモ師団」戦闘序列 1870年12月初旬この兵団は国防政府派遣部所在のトゥールにて、これまでの軍団編成から漏れた兵力を結集し「第19軍団」とするために編成が開始され、カモ将軍の指揮下11月30日に約16,000名の師団級兵力で一応の戦力化を見ました

その後各地から集まる護国軍兵力を結集し戦力を高めようとしている最中の12月5日、「第一次」ロアール軍が崩壊したことで急遽ボージョンシー方面へ増援として送られ、シャンジー将軍指揮下で「ムンの戦闘」「ボージョンシー=クラヴァンの戦い」「ヴァンドームの戦い」に参戦、12月16日にヴァンドームで解散しました

残存兵力は第2ロアール軍の本営、第16軍団、第21軍団に分散し吸収されています

師団指揮官 シャルル・マリエ・ローラン・ドミニク・ジェローム・カモ准将→バリル中佐○ 第1旅団 ミロ中佐*マルシェ猟兵第16大隊*マルシェ第59連隊  [バリル中佐→アーノルド・ドゥ・サント=ロレット中佐]*護国軍カンタル県(オーヴェルニュ地方・県都オーリヤック)の1個大隊 [カンブフォー中佐]*護国軍第88「アンドル=エ=ロアール県」連隊の1個大隊 [ドゥ・クール中佐]○ 第2旅団 ドゥ・モルガン中佐*徒歩憲兵連隊(全8個中隊1,150名) [旅団長直率]*護国軍第27「イゼール県」連隊 [ガスティン中佐]*アン県(仏東部アルプ地方

あなたも好きかも:バカラ ザンザン スター
県都ブール=カン=ブレス)義勇兵隊○ 騎兵旅団 ジョセフ・エリー・トリパー准将(前・槍騎兵第6連隊長・セダンから脱出)*マルシェ槍騎兵第4連隊§ [ドゥ・ルオー中佐]*マルシェ驃騎兵第3連隊 [ドゥ・ノワーティン中佐]*マルシェ猟騎兵第2連隊 [ボイン中佐]*マルシェ胸甲騎兵第7連隊§[ベルジュロン中佐]*乗馬憲兵第1連隊 [ジル中佐]○ 砲兵隊(12月10日以降?)*砲兵第8連隊第22中隊(4ポンド砲6門・第16軍団第2師団から転属) [クレラック大尉]*砲兵第7連隊第23中隊(4ポンド砲6門・第16軍団第3師団から転属) [ペレ大尉]*砲兵第14連隊第23中隊(4ポンド砲6門・第16軍団第3師団から転属) [ベラリー大尉]*砲兵第15連隊第21中隊(4ポンド砲6門・第16軍団第3師団から転属) [ヴィヴィエ・デ・ヴァロン大尉]*砲兵第18連隊第17中隊(4ポンド騎砲6門・第21軍団騎兵師団から転属) [アルゲ大尉]*砲兵第13連隊第22中隊(ミトライユーズ砲8門・第16軍団第3師団から転属) [シーラー大尉]◇第2ロアール軍本営直轄部隊(12月10日以降)*騎馬エクレルール隊 [ベルナール大尉]*徒歩憲兵連隊 [モルガン中佐]*乗馬憲兵第1連隊 [ジル中佐]*アルジェリア・エクレルール隊 [グロー中佐]……こぼれ話Halt Dich fest, Hofer! Nur noch 5 Minuten, und wir sind geretter!「ホーファ、少しの辛抱だ!ほんの5分で脱出出来るぞ!」 マルシュノワールの森東縁でマロールから出撃した普軍騎兵中隊長伯爵ヴァフェン騎兵大尉により敵手から救出されるB猟兵第1大隊のホーファ伍長12月7日マロール前面での救出劇を描く独19世紀絵葉書 独本国で美談として持て囃されたこの救出劇は、12月7日、普騎兵第4師団の斥侯隊がマルシュノワールの森東側で仏軍の伏兵に襲われ、複数名が負傷・捕虜となった時に発生したものと伝えられます

これはヘルマン・ヴァイナハトの「美談」(開戦直前のドイツ軍(三)を参照ください)の「裏返し」で、同じくプロシアとバイエルンの「絆」・「ひとつのドイツ」を示すものとして強調され、プロパガンダの一環として絵葉書などになって語り継がれます

 この絵で救出する側の普軍騎兵中隊長ヴァフェン騎兵大尉は胸甲騎兵の姿をしていますが、当時マロールにいた普騎兵第10旅団はライン竜騎兵と親衛第2驃騎兵両連隊からなっており、普騎兵第4師団の胸甲騎兵は第8旅団所属のヴェストプロイセン連隊でこの日は後方のビナに居たため、前線まで救出に向かっていたのは多分普仏戦争前半戦で敵地浸透に大活躍だったライン竜騎兵かと思われます

 因みに、1915年までに「ヴァフェン」という名前は独軍将官名簿に存在せず、戦死者名簿にも見当たらず騎兵連隊の指揮官名にもありません(中佐以下で退任したか)

この騎兵大尉がどの連隊に属していたかは結局調べられませんでした

 普仏両側でこの戦争を描いた多少プロパガンダ臭のする絵画では騎兵が描かれることが多く、実際は脇役の多かった胸甲騎兵の姿が多く見られます

これは当時騎兵が軍のエリートと目されていて、そのヒエラルキーの頂点に胸甲騎兵があったからだと思われます